これが、人間か。

まるで中学生が書くような日記。
まぁ、留学生活。
こんなことも感じたり…するかも。
(いや、これは私個人がガキで
自分に自信がないからなのかもしれませんが…)
という、ケースの一つとして
捉えていただければなあ…
くらいのものです。





  • 先生「昨日はアナタはできが悪かったわねぇ」
  • 私「なぜですか??ちゃんと設問通りに答えたじゃないですか」
  • 先生「dialogueとmonologueを書きなさいという設問で、あなたは文章少ししか書いてないじゃない」
  • 私「指定された動詞に適当な接頭辞をつけて、それを最低二三個使って文を作れって言ってたじゃないですか」
  • 先生「違うわ。私は『接頭辞を変えてできるだけたくさんの動詞を使ってください』と言ったのよ。まぁ、あなたのデキが悪かったのは、授業に来なかったからでしょうね。だからあんまり動詞の種類・数が思いつかなかったのでしょう。」

感情1: 憤り(to 先生)

先生。期末テストだというのに
ミスプリントの裏紙が解答用紙で
問題文は先生が冒頭で説明して
それでオシマイ。
試験中は我々のことほったらかしで
教室出てって職員室でまったりって
手、抜きすぎじゃないですか…。



私が先生の授業に出なかった回数が
多かったことは認めます。
私が先生の設問文を聞き間違えて
勝手に最低限の文量しか書かなかったことも
私の落ち度です。


でもだからって…


「まぁ、あなたのデキが悪かったのは、授業に来なかったからでしょうね。だからあんまり動詞の種類・数が思いつかなかったのでしょう。」


これはあんまりでしょう。
単に、先生が自分の授業に出ない私のことを
嫌っていて
ただ単にその嫌悪心から
嫌味の一つでも言いたくなったから
言っただけじゃないですか。


私がちゃんと答えられなかったのを
私が授業出てないせいにしないでください。
家で勉強してましたよ。
先生の授業、教科書さえあれば
ほとんど家でできるじゃないですか。
文学の授業と違って
先生の解説聞かなきゃいけないわけではないですし
先生は、宿題の答え合わせするだけですし…。
そりゃ、家で勉強して自分で答え合わせして
その拘束時間を有意義に使いたいじゃないですか…。
こちらで現地法人の方とお会いしたり
ロシア人の友人が発表するプレゼンを見に行ったり…
変化めまぐるしいモスクワの街を見たり…



国語学部の、特に
外国人向けにロシア語を教えるクラスでは
生徒がどれだけロシア語ができるようになったか
それが先生の評価にも繋がる
そういうことも聞いたことがあります。
先生があえて席を立つのは
自分が監督しているのがメンドウなだけでなく
あえて生徒たちにカンニングさせることで
よい成績を残させ
それで「自分はこれだけ成長させた」
って言いたいんじゃないですか。
でもって、
「自分は正当な評価をしている」と言わんがための
いわばスケープゴートみたいな役を
授業に出てない+書いた分量が一番少ない
ということで
私に押し付けたんじゃないですか。


そもそも、授業のレジュメが無いのに
採点基準曖昧すぎでしょう…。


昨日は昨日で
教室入ったとたんに
「あら、キミ、テストは受けに来たのね」
とか言うし…。
今日だって、授業終了後
俺はいないかのような物言いで
一回も目を合わせてくれること無く
最後の授業を終わらせたし…。


ぶつぶつ…。


感情2: 憤り(to 私自身)

でも
授業に出なかった私
ちゃんと先生の話を聞かなかった私
悪いのは私。


ロシアの全てが不合理で
ロシアのほとんどが人治社会
というのも、別に新しくない話。
採点基準が曖昧なのも
試験中に先生が監督にいないのも
裏を返せばこんなにオイシイ状況はなく。
それを上手く利用しなかった私の責任。


先生は
「ロシア」というルールに従っていただけ。
それを理解せず
それを利用しなかった
私に落ち度がありました。
いかなる理由であれ
先生の授業にでなかったことが多かった。
それも私の落ち度です。
学生の本分を蔑ろにしたのですから…。


自分の怠惰・失態を棚にあげて
上述の通り、不合理な負の感情を勝手に抱く
そんな自分にも憤りを感じます。


感情3: 嬉しさ


ロシアのような人治社会は
自身の感情に素直になれる分
各構成員の都度のトランズアクションでの
心的負担は軽減されますが
「フェアさ」というものは失われます。


他の世界のような合理社会は
自身の感情を押し殺さなければならないことが多い分
各構成員の都度のトランズアクションでの
心的負担は発生しますが
「フェアさ」というものは保たれます。


この二つの社会を
身を持って体験できたこと。
どちらの社会の功罪も
身を持ってしれたこと。
ロシア1年、米国3年。
無駄じゃなかったなあ…。
どちらも、その社会のルールを一旦把握し
上手く使えば
自身にとって有利になる。
それを見誤らなければいい…。


「郷に入っては郷に従え」
よくいったものです…。


そんなことを考えていたら
なぜだか嬉しくなってきました。
理由はわかりません。


感情4: 興味


頭で何が正しいかわかっていても
理不尽だとわかっていても
難癖つけては自己正当化したくなり
難癖つけては相手を避難したくなる。
人間って、不合理だなあ…
いや、究極的に自身に素直という点では
むしろ合理的…??
感情に重きをおくか、頭に重きをおくかで
社会体制はかくも違ってくるのか…。


なぜ、人間はこうも
興味深いんだろうなあ…。
楽しい…w