平和はあるもの??創るもの??

「社交」
この単語の意味が、
極東の島国の中と外では
connotationがだいぶ違うんだなぁと
今日一日を終えて思いました。



既に平和、安寧、穏便…
なんてものが存在している場であれば
それを如何に壊さず保てるか
そこが重要となってくるでしょう。
そして、そこから
どうやって相手に気に入られるかとか
そういうことを考えるでしょう。


反対に、平和や安寧
そんなものがハナっから存在していない場であれば
まず、平和な状況を作ることから始めなければなりません。
それから、その平和を壊さないように保ち
そして、相手に気に入られる方法を考える…。



最初に違法タクシーに乗ったときの
ドイツ人の友人のタクシー運転手との会話に然り
今日の米人の友人のタクシー運転手との会話に然り
彼らは積極的に運転手に話しかけ
相手が話したくなる話題を探し(あるいは予め見当をつけ)
平和を確立してから
お互いの仲を深め合おうとしてました。




平和を持ち合わせてない人は
ハナっから蚊帳の外に追いやって
平和を持ち合わせる人同士で
その先のステップに進む。
そんな集団の中にいたら
平和を創る訓練を積む場所など
そうそうないでしょう…。



「ニッポン総gated community化」
日記を書いてて、そう思いました。



そうかぁ…
数学メインの人がモノを創るように
言葉メインの人は関係を創ると考えれば
文系もモノ創りに携わってて
しかも、理系の人と同じように
手に職というものが要求される
って捉えることができるのかぁ…




きっと、こんなこと
新書を読んだり
活気ある方からお話を伺えば
目や耳にすることなどザラなほど
当たり前のことなんだと思います。




それでも
それを身にしみて感じ
実体験を伴った強烈な情報として捉え
血とし肉とできたことに
私は今回の留学
やってよかったと思いました。